このブログは犬と共に旅をするのが、
テーマですが今回は私の思ったことを
書かせていただきます。
尚、震災の被害にあわれた方、復興を目指す方
又、原発再稼働を肯定する方、否定する方、
様々な方がおられると思います。
政治にも人の気持ちにも疎い自分ですので
あくまでも私自身の私見と前おいておきます。
お気を悪くされた方がおられましたらすみません。
いわき市を過ぎたあたりでテトラの修理を
していました。
あの大きなテトラが流され壊れていました。

隣の丸形のテトラのほうが波に強かったようで
三角のテトラの代わりに丸形を設置するようです

汚染地域からは解除されていますが、
原発近くの道の駅ならははまだ休館中です



復旧の目途は立っていないですが
ちゃんと整備していました。

除草をしていた方に話を聞きました

津波前にドンと大きな揺れがあり
その時点で避難した人は助かったそうです
しかし、まさか津波なんてと思いそのまま
自宅にいた人の多くが亡くなられたそうです
津波前に海の水位が恐ろしいほど下がり
大きな波が来たそうです
第2波のほうが大きかったそうです
このあたりの町は人が返ってこず
以前の4分の1もいないとの事でした
特に、若い人がいないので活気がないと
悩んでおられました。
確かに、小さい子どもがいれば放射性物質が
怖いのも理解できます。
そういった環境の中で、もいつの日かの
復活を目指し除草作業をしている
近隣の方の姿を目にし、頭が下がる思いでした
これから紹介するのは浸水地域です

入口付近ではテトラの作成を急いでいました

大きく抉られた民家

この辺りは原発の汚染地域から解除されて
いますが、もう住めないと判断したのかも
しれません

家内は当時の悲惨な様子をそのまま残していました。

家の中では、動物も亡くなっていました

コンビニも当時のままです


このアパートは後内装をするだけの
新築のようです

この車も流され、そのままでした

ここは浪江町で、たくさんの方が
亡くなられた場所です。

この後ろの草原にはたくさんの家がありました。
しかしながら、すべて流され
また、その場所は危険区域となり
家を建てることも許されないのが現実です
人が住めないので後回しなのかもしれません

電柱も無残な姿のままでした
すべてが撤去されたわけでなく車もそのまま
放置されており、いたる所に爪痕を感じました

あちこちで立ち入り禁止になっており
まだまだ、放射線量が高いことが伺えます


津波による除染作業を休日問わず
行われていますが、間に合っていません


海の中より流されてきたテトラ
波の力を思い知らされました

この草原にもたくさんの家があり
今では、家を建てることは許されません

そんな中で希望を与えてくれた
かしまの奇跡の一本松

実際に見てきた私にはこの一本の松の木に
この辺りの方が大きな希望を持った事が
よくわかりました。
福島を訪れて、胸が締め付けられる
思いがしました。
マスコミでは一時のニュースで終わってしまいましたが、
5年たった今でも多くの方が苦しみ、耐えています
少し記憶から遠のいていた私ですが、
同じ日本に住む人間として忘れてはならない
と感じました。
復旧にはお金も時間も人でもかかるでしょう
ですが、自分にできることは
今でも、耐え忍んでいる人が多くいる事
亡くなった方への思いに苦しんでいる人がいる事
生まれ育った場所に帰れない人がいる事
苦しい思いの人たちがたくさんいる事を
決して忘れず、見守り続ける事だと思いました
原発の再稼働についても様々な意見があると
思います。実際、私も昨日まで原発の再稼働は
そこで働く人々や、その町の活性化、
エネルギーの確保、等々で仕方ないのかな
と考えていました。
しかし今日、実際に見て聞いて感じて思う事
どんな理由があるにせよ、人を苦しめていい訳がない
もし100%安全だというなら国会議事堂の横に
立てれば、とまで思いました。
関東で使う電力のため東北が被害にあい
その復旧ですら東北電力の電気を使っている
私には理不尽にしか思えませんでした。
少々、乱暴な言い回しになってしまいました。
まだまだ、思う事はたくさんありますが、
今一度、考えてみたいと思います。
最後に、この地震で亡くなられた方の
ご冥福を心よりお祈りいたします。
又、けがをされた方、大切な方を喪った方
心中をお察しいたします。今を耐えてください
もう一度元気になった街を見に来ますね
思いのまま書いてしまいましたので乱文で
申し訳ありません。
とーちゃんより
おぃとーちゃん 話し終わったか?

そういえば明日は…
とーちゃんの誕生日やないか!
いくつになっても誕生日は嬉しいもんな
明日は一緒にお誕生会しよな