「トウモロコシ食べるか? ほれ!」

優しいところあるやんか
え~よーに食べられへんでコレ!

「食べられへんのかぃ」
「しゃーないな 切ったるわ」
そうや!そんでえ~

とーちゃん、昨日の誕生日が散々やったから
今日の お昼はご馳走やねんて
待ってるさかい、食べてきたらえぇやん

ミンク鯨の刺身定食

「チョー美味しかった.
赤身のお肉みたい…そっか!鯨って哺乳類やもんな」
今日はゆっくりと思っててんけど
震災で被害を受けた大川小学校
どうしても気になるからな、行ってきた
ココからは真面目に伝えたいと思います
震災で被害にあった石巻市立大川小学校
震災前の姿はこうでした

今行ってみると

ココは体育館への渡り廊下

そして、なにも無くなった体育館

二階の屋根まで水が来たそうです

低学年がいた校舎

教室内は無残なままでした

ここにもたくさんの家がありました

立派な慰霊碑がありましたが故人の名前があり
写真を撮るのを控えました
レスキューの方に話を伺うことができました。
当時、近くにあった北上大橋付近の堤防が決壊し
水がなだれ込んできたそうです。
当時この小学校は地域の避難場所に指定されており
多くの老人や子どもたちが避難していたところを
津波が襲ったそうです
地形の問題もあり、この小学校の周りを
渦が巻く状態で飲み込まれたそうです。
当時108名いた子どもたちの74名が亡くなりました
避難していた近隣の方を含めると数百名になります
小学校ののすぐ東側には山がありましたが
けっして登れるようなものではないと思いました
まして、多くの老人がいた中で2次非難は
難しかったと思います。
今、急いで堤防を作っていますが何故か聞いたところ
震災から3年間くらいは救出と遺体捜索だけを
していたそうです。工事をすると捜索ができなくなる
からです。しかし、見つかるのは動物の骨ばかりで
その近辺から見つかったのは2名の方の一部だけ
だったそうです。DNA鑑定で身元は分かったそうです
レスキューの方も毎日毎日、辛い作業をしていたと
思うと頭が下がります
遺族の一部の方たちの中には、
学校、教育委員会、文科省に対し
避難の方法が適切ではないとして
訴訟を起こしているそうです。
ここからは私自身が思う事です。
決して当事者の考えではありませんので
誤解のないようにしてください
訴訟を起こしている方達が金銭目的でないことは
容易にわかります。
ただ、行き道理のない悲しみや苦しみの矛先が
無いのだと思います。
確かに、今後同じ過ちを犯さないように
という理由も大きいのかもしれません。
ですが、大切な人を津波という
攻めようのない物のせいで亡くし、
心の持っていき場所が無くなったのではないのかと
思うのです。
一概に「そんな事しても仕方ない」とか
「みんな被害者じゃないか」とかという事では
済まないんだと思いました。
この建物は住民投票の結果、
このまま負の遺産として保存するそうです。
あれから5年が過ぎ6年目を迎えようとしています
今の生徒たちが気になりませんか?
今、近隣の二俣小学校の校庭にプレハブを建てて
生活しています。

プレハブですよ、5年間も

私は建築の事はよくわかりませんが
おそらく2億あれば出来るのではと思います
以前、国会が一日延長すれば2億かかる??
という話を聞いたことがあります
政治家の皆さん、よく考えましょう
被害にあって友達を亡くした子どもたちが
冬は寒く、夏は暑い中で過ごしているんですよ
クーラーのきいた赤絨毯の上で足の引っ張り合い
をしている場合ですか?と言いたくなります。
ここは、きぼうのかね商店街

女川町では中心街の建物がすべて流失し
町内の店がなくなってしまいました。
そんな中、地元の商店経営の皆さんが
力をあわせて築いた商店街です。
町への思いと心の強さに感銘を受けました
近隣には避難所生活をしている方も多く
おられました

最後に
決していたずらな気持ちで写真を撮っている
訳ではありません。
私がそうであったように、遠く離れた人々にとって
記憶が薄れていく事が問題だと思い書かせて頂きました
このブログを見て気分を害された方が
おられましたら心からお詫び申し上げます。
乱文にて失礼しました
とーちゃんより